空 海 の 名 句 (抜 粋)
監修:山折哲雄 エッセイ:上山春平 解説文:正木 昇 『空海の世界』 佼成出版社 ヨリ


 

(其の一) 生まれ生まれ生まれ生まれて


生れ生れ生れ生れて、

   生の始めに暗く、

死に死に死に死んで、
   生の終りにくら し。
生生生生暗生始

死死死死冥生終
( 『 ぞう ほう やく 』 )
生を得て、この世に現われ出でた時も、救いの光は見えず、
死により、この世に別れを告げる時も、救いの光明は見えぬ。

この一文は、 「生生生生・・・・・死死死死・・・・」 と、そのたたみかける劇的な表現によって、非常に名高い。確かに、古来、生と死を論じた文章で、これほど見事なレトリックに達した例は少ないに違いない。
ただ、この一連の言葉は 『 ぞう ほう やく 』 という書物の巻頭に位置する七言の詩句の最後の部分であって、その詩句の出だしがやはり 「悠悠悠悠大悠悠、・・・・、杳杳杳杳甚杳杳、・・・・ (悠悠たり悠悠たりはなは だ悠悠たり、よう杳 たり杳杳たりはなは だ杳杳たり) 」 から始まっている点を考慮すれば、これらもまた空海が得意とした、装飾過剰な六朝りくちょう 風の美文のカテゴリーに入ることがわかる。
しかしだからといって、空海のこの一文の価値が減じることはない。
人間存在についてまつわる悲劇性、つまり生を得ても死を迎えても、共に闇の中をさ迷わなくてはならぬ人間一般の宿命を語った言葉で、これ以上のものは見出し難い。もし、別の仏教用語を充てるのであれば、この 「暗いい」 という人間の生死の表現に、最もふさわしいのは 「無明」 という言葉であろう。
言うまでもなく、仏教はりん からの解脱を目指している。では、なぜ、生きとし生ける者は悉く輪廻せざるを得ないのか。その原因こそ無明なのだ。渇愛、すなわちひたすら生きようとする盲目的な意志と、無知、すなわち宇宙永遠の真理を知りえない愚かさ。その二つが無明の実質である。時に、無明長夜というも、ホトケの智慧にあずかれない衆生にとって、人生は、所詮、明けることのない夜にすぎないからである。しかし、なればこそ、人間は無明長夜を照らす灯火を求める。
『秘蔵宝鑰』 なる一書は、有名な 『じゅう じゅう しん ろん 』 の略論に該当する。もとの 『十住心論』 が真言密教を頂点とする仏教諸派のヒエラルキーを語ったもので、当然ながら高度な内容を持つため、よほどの専門家でもなければ理解が及ばない。この頃、天皇の位にあった淳和帝も 『十住心論』 には歯が立たなかったとみえて、空海に 『十住心論』 の肝心なところをまとめた、いわば概説書風の書物を所望された。その天皇の意を受けて、したためられたのが 『秘蔵宝鑰』 と思ってかまわない。
そんなわけもあって、 『秘蔵宝鑰』 は専門家以外の人にも理解できるような構成になっている。さらに、こういっては問題かもしてないが、素人も対称に入っているという事情から、彼らにも感覚的な次元でわかりやすい文学的な表現が取り入れられているとも考えられる。この書物の巻頭に 「生れ生れ生れ・・・・」 と衝撃的な形容が採用された理由は、もしかしたらこんなところにあるのであろう。
ところで空海が灌頂かんじょうの際、恵果から与えられた号を 「遍照金剛」 という。世界を遍く照らすダイヤモンドのごとき永遠の真理、といったほどの意味である。つまり、空海は我こそは 「暗く冥い」 人間の生死を、ホトケの真理の光によって照らし出す役割を担っていると自負していたとも受け取れる。

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監修:山折哲雄 エッセイ:上山春平 解説文:正木 昇 『空海の世界』 佼成出版社 ヨリ