空 海 の 風 景 (抜 粋)

著著:司馬遼太郎 発行所:中央公論社 ヨリ

 

抜粋 其の五十六 (下巻 p−254〜p-257)

 

しばらく、事の進行から、筆を外らせたい。
密教が、その源流の地であるインドにおいて空海のこの時期にはすでに衰弱し、かわって猥雑な民間信仰と習合したバラモン思想 ── インド教 ── が盛んになりつつある。それにつれてインドにおける密教は変容し、インド教に似て性欲崇拝の濃厚なものになり、やがてチベットに伝わり、ラマ教になるのだが、ラマ教は密教という点では空海が遺した真言密教との違いはないといっていいであろう。しかしながら両者は神秘性の表現においてははなはだ異なっている。ラマ教は、インドで衰弱段階に入った後の左道密教といわれるものに相似し、性交をもって宇宙的な原理を表現することに於いて強烈で得あるが、空海がもたらした密教はそういう思想を内蔵しつつも教義全体の論理的筋肉がまだ若々しく、活動がなお旺盛で、性欲崇拝へ傾斜するような傾向は外部からは窺いにくい。
しかし空海の没後、数百年を出ずして彼の密教も左道化した。 「真言立川流」 と呼ばれる密教解釈が、平安末期から室町期にかけて密教界に瀰漫し、とくに南北朝時代にはその宗の指導者である文観もんかん が後醍醐天皇の崇敬を受け、立川流が密教の正統であるかのような座を占めたことなどを見ても、空海の体系には、性欲崇拝を顕在化させる危険が十分内在したというべきであろう。
中世末期に性的宗教化した空海の末流の説くところは、一例としてあげれば、たとえば男女交会したときの姿が、すなわち五鈷ごこ しょ であるという。ついでながら五鈷杵とは金剛杵こんごうしょ の一種で、古代インドの武器であったものを、密教ではこれを煩悩を砕いて菩提心を起こさしめる密具として用いた。三種あり、独鈷どつこ しょ 、三鈷杵、それに五鈷杵である。空海は長安の青竜寺で恵果から法統を受けたとき、法具いっさいも恵果の指図によって調整され、それらを経典、絵図などとともに持ち帰って高尾山寺に置いた。その写しが広がり、かつ伝えられたものの一つが、五鈷杵である中世末期の密教僧はこの五鈷杵の形から空想して男女交会の形を表すととし、特に愛染明王がもっている五鈷杵を 「人ノ形ナリ。人ヲ二人合シタル形ナリ。中ハ頭ナリ。二ハ左右ノ手ナリ。又下ニテアルハ二足ナリ」 とし、 「合スレバ二根交会シテ大仏事ヲじょう ズト理趣釈ニアルハナリ」 ( 『宝鏡鈔』 ) などと説かれるにいたる。
例を挙げる。

 
問フ、何故ニ当段ノ、淫欲即チ是道ノ法門ト説クヤ、ト。答ヘテ云フ、其ノ意甚深ナリ、所謂自在菩薩ノ右手ノ蓮花ハ是レ一切衆生ノ胸中ノ八弁ノ心蓮也。然ルヲノ蓮ハ、最初入胎之時、ニ水和合シテ妄情其の¥の中ニ託ス。然シテ後ニ漸々暦五位ヲ経、人体ヲ成ス ( 『加古衣面授紀』 )
 

などという思想は、密教の妙諦は男女の交会以外にこれを求むべきではないというところへ発展し、交会についての様々な行法まで流布されるにいたる。
それらの思想の典拠は、空海がもたらした 『理趣経』 および 『瑜祗経』 『菩提心論』 に求められているが、空海自身、これらの性欲の肯定 ── さらには性欲および性交こそ菩薩の位であるとする経文 ── について、どのように説いていたのか、彼の文章が残っていないためによくわからない。おそらく彼は、後世、立川流に反論する密教家のように単にそれを比喩であるとは言わなかったであろう。しかし立川流が説くようにそれそのものが成仏の行法であるとも云わず、論理家である空海はこれらを単に倫理の構成材として用い、それそのものが直ちに単独に原理として活用出来るようには述べなかったかと思える。

『理趣経』 は、正称は 『大楽金剛不空真実三麻耶経』 もしくは 「般若波羅密多理趣経』 という。
歴史的には、 『大日経』 よりも遅く成立し、それゆえに即身成仏と大楽だいらく を究極の目的とする密教経典の中では高い価値を持つとされ、少なくともチベット仏教においては 『大日経』 よりも高い位置を持つかのようである。理趣とは条理という意味であろう。般若という真実の知恵をたよりにして解脱に到着する条理というのが、この経典の題名の意味である。空海はおそらくチベットの密教僧とは異なる意味でこの経典を重んじ、高雄山寺においても、のちの東寺においても、さらには高野山においても、日夜読むべき常用の経典とした。

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『空海の背景・下』 著著:司馬遼太郎 発行所:中央公論社 ヨ