= = 『 評 伝 廣 瀬 武 夫 』 = =

著:安本 寿 ヨ リ


  
 ── 評 伝 広 瀬 武 夫 ──

エ ピ ロ ー グ 「 新 説 ア リ ア ズ ナ 」 (一)

廣瀬武夫の魅力を見直そうという動きは、平成二十二年も活発だった。その代表例が十月二十三日、廣瀬の郷里、大分県竹田市で行われた 「嚶鳴フォーラム in 竹田」 である。全国十三の自治体が故郷の先人を顕彰するために持ち回りで行っているフォーラムで、第四回のこの年は廣瀬が選ばれた。
作家、童門冬二さんの記念講演 「廣瀬武夫が語りかけるもの」 などが行われたフォーラムで、興味深い報告を行ったのは日露文化センター代表の川村秀さんと、ロシア外交アカデミーのスベトラーナ・フルツカヤさんである。廣瀬の悲恋の相手、アリアズナの父親が広く知られたコワレフスキー少将ではなく、コワリスキー大佐という人物だというのである。そればかりではなく、廣瀬がコワリスキーの機雷知識を狙って近づいた可能性まで示唆していて、好漢・廣瀬に情報将校の姿を見る思いがして斬新だ。
フルツカヤさんは六年前、 『坂の上の雲』 のドラマ化を計画していたNHKから、廣瀬とアリアズナの恋の顛末について調べるよう依頼を受けたと言う。廣瀬が戦死した後のアリアズナの運命について調べる事だと言ってもいい。その答えを求めて、フルツカヤさんはまず、父親のコワレスキー少将について調べ始めた。
アリアズナのフルネームはアリアズナ・ウラジミロビナ・コワレフスカヤ。父親はコワレフスキー・ウラジミル・アレクサンドロビッチ。海軍少将で水路部長というのが、廣瀬と知り合った当時の彼の地位である。
ところが、ロシア国立海軍古文書館で該当した唯一の同名者は、一八六一年にロシアの海軍兵学校を卒業。二十七年後の一八八八年三月一日にヘルシンキで死去していた。廣瀬のロシア到着は一八九七年である。これではロシア海軍主催の園遊会で知り合えるはずがない。フルツカヤさんは、コバレフスキーなど類似する名前に範囲を広げて調査を続けた。その結果、行き着いたのがコワリスキー・アナトリー・アンドレビッチという名の海軍大佐である。
大佐にはアリアズナ・アナトリエブ・コワリスカヤという名の娘と、アナトリー、アンドレイという名の息子、アリアズナにとっての弟がいた。これまで日本で信じられてきたコワレフスキー少将にはセルゲイとアナトリーという名の兄がおり、家族関係やその名前は似ている。
それ以上にフルツカヤさんが注目したのはアリアズナの年齢で、廣瀬と知り合ったとされる一八九九年には二十三歳。当時三十一歳の廣瀬と釣り合うのだ。
さらに文学好きで数ヶ国語を話す才媛だったというから、廣瀬の私信などにあるアリアズナ像と一致する。コワリスキー大佐は一九〇三年、少将に昇進しており、階級もコワレフスキーと同じになる。水路部長のコワレフスキーが存在しない以上、このコワリスキーがアリアズナの父親に違いないと言う結論にフルツカヤさんは達した。

『評伝 廣瀬武夫』 著:安本 寿久 発行所:産経新聞出版 ヨ リ
Next