= = 『 評 伝 廣 瀬 武 夫 』 = =

著:安本 寿 ヨ リ


  
 ── 評 伝 広 瀬 武 夫 ──

第 九 章 福 井 丸 (五)

福井丸は三月二十二日午後、連合艦隊各艦の登舷礼式に送られて、作戦の集合地点に出発した。二十三日、ここまで同乗していた福井丸の船員と別れの宴が催された。この席で船長の伊東工造が廣瀬に嘆願した。
「私はすでに六十歳を越え、船とともに老いました。この船は天晴れ最期を遂げようとしているが、私はこの船と永訣することは出来ません。どうか私も行をともにして、この船に殉じさせて下さい」
老船長の命がけの頼みに、廣瀬はあえて、漢語調の言葉で断り、諭したという。
「員外の人同伴する限りに非ず」
この老船長のために廣瀬は 「丹心報国」 と 「七生報国」 の詩を贈った。この小宴では、廣瀬の風雅な心が閉塞隊員たちにの伝播したらしく、杉野も一句作っている。

死ねば今 地獄の門の 出来ぬ間に

船員たちが福井丸を去る際には、廣瀬は改めてあいさつした。
「我々は一時、本船を拝借していく次第であるが、これに報ゆるだけのことは必ず成し遂げる決心である」
「閉塞隊万歳」
廣瀬の挨拶が終わると、伊東が音頭を取って、船員たちが三唱した。
翌二十四日、閉塞船隊や護衛の水雷艇などが出撃する予定だったが、海が荒れた。濃霧が発生し、北西風が強く、波も高い。閉塞船四隻とも三千トン前後あるため、就航できないこともないが、小さな駆逐艦隊や水雷艇隊はとても航行できず、予定を延期する信号が旗艦・三笠から発せられた。
一夜明けて天候が落ち着いたため、午後六時半の出港が決まった。三笠から福井丸へ、連合艦隊参謀の秋山真之が廣瀬を訪ねて来たのはこの日である。
「閉塞も、今度はいよいよ容易ではあるまい。敵の砲火が激しければ退いて、再挙を図る方が万全の策と言えるのではないか」
「それは違う。どんなに砲火が激しかろうが、何がどうであろうが、すでに決心した以上はもはや躊躇すべきではない。断じて行えば鬼神も避く。成功の秘訣はただ勇猛邁進あいありだ」
作戦家の秋山が廣瀬の身を案じ、前線識者の廣瀬がそれを固辞する論争をしたのは、序章でも紹介した通りである。
福井丸は出港に当って、これまで使用していた和炭を英炭に変えた。和炭は安価だが煙が激しく上り、夜陰に乗じた作戦ではあったも、それだけ作戦に支障が生じると考えたのである。
薄い靄が海面を覆う中、閉塞隊は千代丸を先頭に航行した。風はなく、波も小さい。
はるか前方に旅順要塞の探照灯が見え始めるころ、福井丸の廣瀬は私室に入り、裸になって身体を拭った。次いで帽子に香を焚きしめる。第一次の閉塞作戦に参加が決まって以来、続けている武士のたしなみである。
「天佑、天佑」
大声で連呼しながら船橋に駆け上がった。
杉野は、伊勢神宮の御供米を押し戴いて武運を祈っていたが、誤って御供米をストーブの前にこぼした。
「もったいない、もったいない」
そう言いながら丁寧に、一粒残さず拾い集めた。杉野は三重県栄村 (現鈴鹿市) の出身である。郷里は伊勢湾に近く、伊勢神宮への信仰が篤い。日付はすでに運命の三月二十七日に変わっていた。

『評伝 廣瀬武夫』 著:安本 寿久 発行所:産経新聞出版 ヨ リ