= = 『 評 伝 廣 瀬 武 夫 』 = =

著:安本 寿 ヨ リ


  
 ── 評 伝 広 瀬 武 夫 ──

第 九 章 福 井 丸 (四)

廣瀬が乗り込んだ福井丸の機関長は、前回同様に粟田富太郎が務めた。それに指揮官付となった杉野と合わせた計三人が患部と呼ぶべき存在である。隊員は十五人。計十八人が旅順港口に向かった。
戦闘の模様を記述するのに煩瑣を避けるために、十五人の氏名、階級、選出艦を記しておく

飯牟礼仲之進  一等兵曹     敷島
平野一郎     一等水兵     吾妻
菅波政次     二等信号兵曹  朝日
松下軍吉     二等機関兵曹  敷島
平野松三郎    三等機関兵曹   朝日
中條政惟     一等機関兵    敷島
小林吉太郎    一等機関兵    八雲
坂井主計     一等機関兵    朝日
石井左市     一等機関兵    吾妻
沓澤皆蔵     二等機関兵    吾妻
山本牟二     二等機関兵    朝日
井畠小次郎    二等機関兵    龍田
塚本達郎     二等機関兵    八雲
小池幸三郎    二等機関兵    高千穂
楠鉄蔵       二等機関兵    敷島

「我々はただ、天佑を確信し、猛進すべきである。今度は場合によっては、水道に闖入する覚悟であるから、みなその決心でやらねばならぬ」
隊員たちに、廣瀬はそう訓示し、部署を決め、二直交代で勤務に就かせた。二度目の作戦で、廣瀬も閉塞作戦の要領らしきものをつかんでいた。
回航された福井丸に乗り込む前日、三月十九日には兄、勝比古に宛てて手紙を書き、漢詩を入れた。

七生報国
一死心堅シ
再ビ成功ヲ期ス
笑ヒ含ミテ船ニ上ル
第一次作戦の時に書いた 「丹心報国」 の詩と並んで、廣瀬の覚悟を後世に伝えるものとして残っている。
廣瀬の覚悟を示すものとしては、戦国武士の如く生活したという手紙も残っている。
(古の武人の出陣の際のごとく、出来るだけ身の廻りを片付け、前日心より海水温浴をとり、また早暁にて身を浄め、シャツ、下着をあらため、香を焚き込めたり。その意は、死際を飾る武士のたしなみとして木村長門に私淑するもの)
木村長門とは、豊臣秀頼に仕えた木村長門守重成のことで、大坂冬の陣の際、秀頼の正使を務めた青年武将である。徳川二代将軍秀忠と誓紙を交わす交わす際の進退が、水際立って礼にかなっていたことで評判を取った。夏の陣では、河内方面で藤堂高虎、井伊直孝と戦い、藤堂勢を破った後、井伊勢との激闘で討ち死にした。享年二十三。その首が徳川家康の実検に供された際、頭髪に香が焚き込まれていたので、その覚悟に家康が感心したと言われる。この古事を廣瀬が気に入り、遠く日本を離れた艦上生活で、重成のように過ごしていたのである。
死を覚悟していた廣瀬は、内ポケットに幾つかのものを忍ばせていた。
遺書二通。兄の勝比古宛てのものと八代六郎宛てだった。この時期、勝比古は砲艦・大島の艦長、八代は巡洋艦・浅間の艦長として、ともに戦場にいる。
金八十六円。戦死した際、後片付けの多少の補助にするよう書いたメモとともに持っていた。赤穂浪士が金子を懐中に忍ばせていた古事にならったものだ。
銀時計。言うまでもなく、ペテルベルグを去る際にアリアズナが贈ったものである。鎖にはアリアズナの写真が入ったロケットがついていた。
『評伝 廣瀬武夫』 著:安本 寿久 発行所:産経新聞出版 ヨ リ
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