= = 『 評 伝 廣 瀬 武 夫 』 = =

著:安本 寿 ヨ リ


  
 ── 評 伝 広 瀬 武 夫 ──

第 八 章 日 露 開 戦 (六)

十六人が乗り込んだカッターは、足の半分まで水につかる状態だった。要塞では機関銃も使用しているらしく、連続弾がカッターの周囲に飛来した。
「睾丸に触ってみろ。よく俺を見て、よそ見をするな」
廣瀬が懸命に隊員を鼓舞していたところ、港口に向かう仁川丸が見えた。探照灯と砲火も仁川丸に集まり、カッター周辺に飛来する敵弾が減少した。
「今だ。必死に漕げ」
長靴を使って水を乱す余裕も出来て、夜が明けるころには安全な海域にたどり着いていた。あとは収容艇に見つけてもらうだけである。隊員の一人が竿に白布を結びつけ、振りかざしながらカッターを進めた。
ほどなく、水雷艇・隼がカッターを見つけ、全速力で近づいて来た。隼から万歳の声が起こり、カッター側でもこれに和した。廣瀬はカッターの先に立って、収容される準備をした。
隼がカッターに並ぶと、隊員たちは急いで乗り移ろうとした。命からがらにの逃避行だったし、二月の海上は風が強く、寒い。無理からぬ心理だったが、廣瀬はそこで隊員らに怒鳴った。
「貴様たちは、俺より先に上るつもりか。無礼者め」
われ先の騒ぎが収まると、廣瀬は真っ先に隼に移った。隼の乗員は廣瀬の手を取り、体を抱いて引き上げてくれた。上り方の要領がわかったので、隊員らは次々に隼に収容された。二十四日午前六時半ごろだった。
「風は強いし、波は高い。その上、まだ薄暗かった。ここであわてて、一人でも水中に落してはならぬと思ったから、大喝一声して真っ先に上った。乗組員一同が俺を信用して、命令を守ってくれたことがうれしかった」
廣瀬は後日、この時のことをこう振り返っている。仁川丸と武州丸の隊員はついに、収容艇と遭遇する事が出来ず、四日間も海上をさ迷った末、中国の帆船に救助された。この作戦での人的損害は戦死一人、負傷四人だったが、危険な作業であることは変わりなかった。
二十六日、廣瀬は三笠に呼ばれ、東郷をはじめ各司令官、艦長らの前で戦況報告を行った。東郷は二回にわたって、廣瀬の指揮を嘆美し、そして慰労した。
巡洋艦・浅間の艦長、八代六郎からは書簡が届いた。

(君が今回のこと日本武士道の真骨頂を全世界に表示し、武勇の手本を後世に垂れたるものなり。特に兵員の安全を確かめたる後、弾丸雨の下、平然として船橋に上り、帯剣を取り来りたる天晴れの武者振り、見事なり)
八代は兵学校時代から一貫して廣瀬の理解者だが、なかなかの褒め上手で、部下の扱いがうまいことがわかる文面である。旅順港内での奇襲作戦に失敗した水雷艇隊が連合艦隊司令部で詰問されている際の逸話も、八代の人柄をしのばせる。
「水雷はこそ泥のようなもので、さっと攻めさっと退くものです」
退却が早いと責められていた水雷艇隊司令がsぴ弁明すると、言葉尻を捉えて八代が言った。
「亭主をたたき起こして、朝飯をくわせてもらうくたいじゃなきゃ、割に合わんだろうが
この一言で司令部の空気がなごみ、司令は更迭を免れたという。
廣瀬は、こうした人たちにも恵まれていたのである。
『評伝 廣瀬武夫』 著:安本 寿久 発行所:産経新聞出版 ヨ リ