= = 『 評 伝 廣 瀬 武 夫 』 = =

著:安本 寿 ヨ リ


  
 ── 評 伝 広 瀬 武 夫 ──

第 八 章 日 露 開 戦 (五)

閉塞隊が、有馬良橘率いる天津丸を先頭に旅順港口に前進したのは午前四時十五分である。廣瀬の報国丸が続き、仁川丸、武揚丸、武州丸が後続した。ほどなく四基の探照灯が天津丸を捉えた。探照灯はさらに増え、要塞砲が咆哮を始めた。着弾以上に閉塞隊を苦しめたのは強烈な探照灯だった。このために指揮官も操縦手も方向感覚を失い、天津丸が座礁した。
「面舵だ。面舵に取れ」
座礁した天津丸の船橋で、有馬が必死に後続船に叫ぶ。報国丸は右回頭して港口を目指し、仁川丸も並んで進んだ。武州丸は武揚丸を追い抜いてしまい、船首を左に回そうとした瞬間に砲弾が命中して舵機が破壊され、天津丸とともに目的地にたどり着く前に爆沈した。武揚丸は、武州丸の爆沈を見て目的地と錯覚し、天津丸から約四百メートル離れた地点で投錨、自沈した。
残るは報国丸と仁川丸である。報国丸は幸いに山陰に隠れるように進路が取れた。
「おい機関長、今から全力突進だ」
廣瀬が命じると、粟田は機関室に降り、怒鳴るように命じた。
「罐が破裂してもかまわんから、焚けるだけ焚け」
港口が近づくにつれ、銃弾も飛来し始めた。砲弾が破裂した甲板は炎に包まれ、マストも折れた。
「もう、この辺でよかろう」
廣瀬は後進全速を命じ、船体を港口に向けて横向きにした。被弾した船体はすでに左舷に傾斜している。
「僧院点呼」
廣瀬の声で、隊員たちは後甲板に集まったが、一名足りない。角久千幾蔵という二等兵曹だった。そればかりか号令をかけた廣瀬の姿もない。粟田は左舷から右舷へと、二人を探し回った。機関室の暗がりで誰かに突き当たった。
「水雷長?」
「角久間です」
「水雷長はどうした」
「いくら探しても見当たりません」
その時、 「機関長」 と呼ぶ声がした。廣瀬だった。よろよろとして足元が頼りない。聞けば、段梯子が吹き飛んでいた舟橋から飛び降りた際、向う脛を打ってしばらく立てなかったと言う。一度目は何ともなかったが、船橋の手すりに短剣をかけていたことを思い出し、再び船橋に上ったのだという。
「心配かけて悪かったな。だが、報国丸は使命を果たしたぞ。愉快、愉快」
カッターに隊員が乗り込むのを見守った廣瀬は、カッターがかなり浸水していることに気が付いた。別のカッターへ乗り換えを命じようとしたが、四人の負傷者がいて難しそうだった。ロシアの砲弾が、爆沈用の火薬を誘爆させたのもそのころである。
「このカッターで行ける所まで行くことにする」
廣瀬は決心し、離艇を命じた。結果的には報国丸は予定地点にほど近い港口の灯台下に沈没した。仁川丸は港口に突入しようとした時に、船底に沈没船らしき海底物が接触して航行不能になり、その場で自沈した。

『評伝 廣瀬武夫』 著:安本 寿久 発行所:産経新聞出版 ヨ リ
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