= = 『 評 伝 廣 瀬 武 夫 』 = =

著:安本 寿 ヨ リ


  
 ── 評 伝 広 瀬 武 夫 ──

第 六 章 竹 田 の 廣 瀬 家 (三)

このころになると廣瀬には肉親を失った一緒に悲しんでくれる人たちがペテルブルグにいた。親交を深めているペテルセン博士の一家や、コワレフスキー少将の一家である。彼らはすぐに廣瀬の自宅に弔問に訪れ、慰めの言葉を尽くしてくれた。
なかでもアリアズナは連日のようにやって来て、広瀬のそばにいた。ただ黙って、ありきたりの慰めは言わなかったという。それが廣瀬にはうれしかった。
アリアズナは元々、開放的で快活な明るい娘だった。彼女目当てにコワレフスキー家を訪れる若い海軍士官も少なくなく、社交界のつき合いもそつなくこなした。それが廣瀬の好む、当時の日本女性風の振舞ができるようななったのには、一人の女性の存在が大きい。
社交下手の廣瀬がロシアで親交を深めたもう一つの家がペテルセン博士の家である。ペテルセン家にはオスカルという男児とマリア・オスカロブという二十歳を超えた娘がいて、このマリアが密かに廣瀬に淡い恋心を抱いていた。
マリアは長身で金髪。性格は控えめで立ち居振る舞いには気品があったという。
そのマリアに関して、廣瀬はアリアズナに口をすべらせたことがある。
「マリアさんは日本の令嬢のように万事控えめで、それでいて芯がしっかりしている方です」
アリアズナが、ロシア貴族の令嬢さを見せなくなり、日本風の控えめさを見せ始めたのは、史料を見る限り、それからのような気がする。
ペテルセン家を訪れた時の廣瀬は、まだ十七歳のオスカルに兄のように慕われ、オスカルとほぼ終日、一緒にいた。その間、マリアは時折、言葉を交わす程度の親しみしか示さなかった。
珍しく自分から会話を進めたのは、趣味の切手のことだった。
「私は切手を集めて楽しみにしていますが、もし日本の切手をお持ちならば、一枚でも二枚でもお譲り願えませんか」
廣瀬は、日本にいる兄嫁の春江に手紙で依頼して、日本の切手を送ってもらった。マリアは喜んだが、廣瀬が切手に関心がないことに表情を曇らせた。
「私は切手に興味はないが、姪の馨子は集めてますよ」
廣瀬がそう言うと、マリアは瞳を輝かせて言った。
「それなら私が、馨子さんに、たくさん集めて差し上げます」
マリアの心情が分かるのは、廣瀬の日本帰国が決まった明治三十四年十一月二十五日である。その日、マリアは廣瀬の部屋を、きれいに整理した千五百枚の切手を持って訪れた。切手はロシアのものだけでなく、英国やフランスなど欧州全域のものが含まれていた。廣瀬がペテルセン博士と交友を始めて三年が経っていた。マリアという女性の人柄が分かる逸話である。
「ありがとう、馨子がどんなに喜ぶか知れません」
そう言った廣瀬が幾ら朴念仁でも、マリアの気持は分かったことだろう。しかし、廣瀬にはすでに、アリアズナが特別な人としていたのである。廣瀬はこの時、マリアに文鎮用の鍔を贈り、その用途まで詳しく説明したという。どこまでも実直で、無粋な男とマリアは思ったかもしれない。
切手に関しては、廣瀬には別の逸話もある。ロシア留学を終えた廣瀬は明治三十五年の一月、厳冬のシベリアを橇で横断して帰国する旅に出た。生命の危険を感じる旅を前にして、廣瀬はある約束を思い出した。日本を発つ時、知り合いの少年と交わした約束である。郵便切手を集めている少年に、廣瀬はロシアの切手をたくさん土産に持ち帰ると約束していた。
廣瀬は出発前に、兄の勝比古に手紙を認め、切手を託した。この逸話を裏付ける少年からの礼状が、廣瀬の郷里にある廣瀬神社に今も保存されている。
少年は後年、照明学の権威となり、東芝の顧問をする傍ら、日本電子工学院や小田原女子短大の学長を務めた関重広という人だ。この逸話は 「約束を守る」 と題して戦前、教科書などにも紹介されている。
『評伝 廣瀬武夫』 著:安本 寿久 発行所:産経新聞出版 ヨ リ
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