= = 『 評 伝 廣 瀬 武 夫 』 = =

著:安本 寿 ヨ リ


  
 ── 評 伝 広 瀬 武 夫 ──

第 十一 章 軍 神 (二)

喪主を務める馨子が柩に従い、参列者の一部も続いたが、その中には山本権兵衛と伊東裕亨もいた。伊藤は当時、海軍軍令部長だが、日清戦争だ日本海軍が史上初めて連合艦隊を編制した際、司令長官を務めた男である。海軍の主だった顔ぶれが勢揃いした感のある葬儀は壮観ではあるが、今から考えれば大事すぎる感もある。それだけ廣瀬の人柄が海軍内外で愛され、その部下思いの最期が人々の心を打ったのであろう。葬儀には天皇からの勅使も差し遣わされた。
「今日の御仏は、私の夫、孫七の姿が見えぬとて、三度までもお探し下されたばかりに、こういうことになりました。その優しき御心には何と申してもお礼の申しようがございません」
そう言うと、号泣が止まらなかった。この言葉を近くで聞いたのは、小笠原長生 (軍令部参謀) の妻だった。
小笠原の筆まめは何度か紹介してきたが、この逸話が残ったのも小笠原のお蔭である。
葬儀には英国行使や米国領事らも参列した。外国特派員の姿も多く、葬儀の様子は海外でも報道された。
ペテルブルグで廣瀬が親交を深めたペテルセン博士の娘、マリアから春江に手紙が届いたのは翌年一月である。日本と交戦中であることを慮って、全文がドイツ語で書かれたいた。
あなたにお手紙を差し上げることは長い間、私の願いでございました、という書き出しで始まる手紙は、深い弔意を感じさせるだけでなく、廣瀬の人柄への哀惜、そしてマリアの慕情をのぞかせるものである。
(あの方は私どもにとって、決して忘れる事の出来ない、懐かしい、誠実なお友達でした。兄方の思い出は、私どもの心の中に、不断に生き続けることでありましょう)
(私はあの方の事を考えます度に、いつも熱い心からの友情と、正真正銘も驚嘆の念とを感じたものでございました。そうして私たちがあのように親しくお付き合い致しておりましたことは、私の生涯の最も懐かしい思い出の一つであろうと、常に考えております)
(あの方は愛する尊い祖国のため、英雄として死んでいかれました。あの方の思い出は永遠に、歴史の中に、ご家族の心の中に、また多くの友の心の中に行き続けてゆくことでございましょう)
マリアは廣瀬の死を知った日から、三日間泣き続けたという。
アリアズナは、父のコワレフスキーから廣瀬の死を聞き、その場で卒倒したと伝えられる。やがて、喪服に身を包み、廣瀬との思い出の場所に馬車を走らせた。
その日以降、洋服の胸に喪章を着け、生涯外さなかったとも言われる。
『評伝 廣瀬武夫』 著:安本 寿久 発行所:産経新聞出版 ヨ リ
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