= = 『 評 伝 廣 瀬 武 夫 』 = =

著:安本 寿 ヨ リ


  
 ── 評 伝 広 瀬 武 夫 ──

第 十 章 旅 順 口 (六)

旅順に居座るロシア太平洋艦隊に、バルチック艦隊来航前に決戦を挑み、これを壊滅するという大戦略を実現したのは結局、乃木 希典率いる陸軍第三軍の旅順攻囲戦だった。第三軍は初めて対する近代要塞に苦戦しながらも、明治三十七年八月七日には、旅順市内を砲撃できる地点まで前進した。正確な照準は無理だったものの連日、市内に砲弾を撃ち込み、九日午前には港内の戦艦・レトヴィザンに命中させた。さらに貨物船一隻を沈没させ、火薬庫に被弾させて火災を起こすなどしたため、ロシア太平洋艦隊は旅順を逃れることを決意した。
ロシア太平洋艦隊の旅順出港は十日午前四時三十分である。巡洋艦・ノヴィークを先頭に主力艦二十隻が、ウラジオストックを目指した。決戦を求めて何度も誘いの攻撃をかけていた連合艦隊が、太平洋艦隊を発見したのは午後零時三十分。一時十五分から砲撃が始まった。日露開戦以来初めての主力艦隊の交戦、黄海海戦である。
前後二回にわたった砲撃戦は午後六時三十七分、連合艦隊の旗艦・三笠が放った三十センチ主砲弾が勝敗を決めた。ロシア太平洋艦隊の旗艦・ツェザレーウィチの司令塔付近に命中し、ヴィトゲフト司令官と幕僚を吹き飛ばし、続く第二弾が艦長のイワノフ大佐と操舵手をなぎ倒した。意思を失ったツェザレーウィチが大きな孤を描いて左に転回したため、後続艦がそれに倣おうとして大混乱が起こり、連合艦隊の猛射を浴びた。
暮色にまぎれて逃走した戦艦五隻と巡洋艦一隻、駆逐艦三隻が、ほうほうの体で旅順に逃げ込んだが、その後は海上戦力にならず、結局は二〇三高地に観測所を設けることに成功した第三軍の砲撃で全滅した。
ツェザレーウィチのほか巡洋艦二隻と駆逐艦四隻は上海、サイゴンなどに逃れた末に中立国によって武装解除された。ノヴィークはサハリン沖で日本の巡洋艦・対馬と交戦の末、自沈した。
廣瀬が封じ込めに命を懸けたロシア太平洋艦隊は、陸海軍の総力で壊滅され、これが後に、日本海海戦での日本の完勝につながる。

『評伝 廣瀬武夫』 著:安本 寿久 発行所:産経新聞出版 ヨ リ